研究分野と動機の関係の話
メガネを更新した。(左)
"更新"した、というのは自分は子供の頃から四六時中メガネを掛けていて、2年も経つとレンズが傷だらけになるからだ。
今度のメガネは少し奮発してキズコートを付けたので、古いメガネを家用にして大事に使おうと思う。
学生時代の話をしよう。
自分は理工系の大学に大学院まで含め6年在学し、その中で広く人工知能に関する研究をしていた。
もう少し詳しく書くと、過去の行動の蓄積からレコメンデーションを行うアルゴリズムに関する研究をしていた。
会社で自分の経歴を知る人*1から「なぜ人工知能を研究しようと思ったのか?」と聞かれる機会がときどきあったのだが、どうにも上手い返答ができずにいた。
多くの場合そのような質問は、例えば「子供の頃からドラえもんを作りたいと思って人工知能に興味があり、研究室に配属される中でレコメンデーションを研究することになった」というようなストーリーを期待されている。
すなわち、「人工知能への興味→学生時代の研究」という前提があるのだ。
しかし、かようなストーリーを考えてもどうにもしっくりくる返答ができない。
それはなぜかと考えたところ、「自身が求める『便利』を実現する方法を考えて、考えて、思考の泥の中でのたうち回っていたら、それは人工知能と呼ばれる分野だった」という結果論的な仮定にたどり着いた。
事実、自分にとっても『人工知能』という言葉はドラえもんやタチコマ、現実世界ではPepperのように感情を表現出来る能力が強く連想されるものであり、決してAmazonのピックアップロボットが時給970円のアルバイトより効率的に倉庫内を走り回り、顧客からの注文を処理する様子ではない。
しかし、自身の研究成果の『知性』はAmazonの顧客がより迅速に商品を受け取れたり、明日の観光ルートを即座に決定できる、といったことに役立つものであり、これは『人類の幸福』という工学の本質に則したものである。*2
一方、ヒトの認知能力と調和できるアルゴリズムを『優秀な人工知能』であると定義するならば、『ヒトの認知能力とは何か?』『調和とは何か?』を考えるのが理学者であり、哲学者の仕事である。
人類は再び自然*3と調和することなしに、これから先の持続を望めない。そのためには、目的関数の極致を求めると同時に目的関数の裏に潜む真理の追求が必要ではないだろうか?
自分の思い描いた未来を忘れないよう、レンズは綺麗にしておきたいと思う。
人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの (角川EPUB選書)
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*1:同じ悩みを持つのか、院卒者から同様の質問は受けない
*2:http://www.ailab.t.u-tokyo.ac.jp/horiKNC/representation_units/9
*3:ここでは現代の科学力で制御できない地球・宇宙規模のエネルギーの流れ